souを立ち上げるまで。

02/03/2017

 

 

今、私は『治療法』も『治療薬』もない病と向き合いながら、ほぼ全介助の車いす生活をしています。

幼い頃からの夢を叶え、日本航空の客室乗務員をしていた25歳の時、突然、進行性の難病の告知を受けました。

 

それから15年。 

” 今 ” 思うこと。

 

『不自由なのは、カラダだけ。』

 

絶望も、希望も、結局自分の心が決めること。

障がい者として生きるのでではなく「自立した、ひとりの人間として生きてゆきたい。」と思えるまでになりました。そして、まだ残っている身体の機能を全て使い切り、私のような障がい者や支えてくれる家族に『人として、生きる選択肢』を、皆さまとと創って行きたいと考えています。

 


私はこれまで、身体が不自由な人や、大自然を楽しむことを諦めてしまっていた方が、家族や友人達と一緒にスキー、登山、木登り、釣り、キャンプ、マラソン、海遊びなど、バリアフリーを基準とせず、大自然を思いきり満喫できる選択肢を提案する一般社団法人ata Allianceを立ち上げ、活動を何年も行なってきました。

 

 

私が次に目指したいのは、

 

『便利なモノ、ではなく、欲しいモノを!』

 

障がいがあるからこそ溢れ出るアイディアを、プロのデザイナーや最新のテクノロジーを持つ企業などと協働しながら「ものづくり」で実現させ、障がい者の生き方を変えたい!ということです。

ーやりたいことー

アイディアだけで、モノづくりができる!

障がい者が経済的に自立できる、前例のないビジネスモデルの構築を。

1976年鳥取生まれの私は、短大卒業後、子供の頃からの夢を叶えて、「日本航空の国際線客室乗務員」になりました。接客業の奥深さ、難しさや体力的な厳しさに戸惑いながらも、あれほど夢見た世界で意気揚々と仕事していた中、突然、病の告知を受けたのです。病名は「遠位型ミオパチー」という進行性の難病。治療法も治療薬もなく、身体中の筋力が衰えて、やがては寝たきりになるだろうと言われました。そんなな私を同僚や会社は精一杯支えてくれました。しかし、日々進行する病を克服することはできず退職。

 

 

 

告知を受けた時はまだ体も動いていたので、そうは言っても「何とかなるかもしれない」と根拠のない思いだけをモチベーションに、出来るだけ筋力の衰えを抑えられるようにと、できることはなんでもしました。でも、本当の闘いはここからだったのです。努力の甲斐もなく、病は少しずつ進行して、当たり前にできていたことが日を追うごとにできなくなっていきました。そんな日々に、更に追い討ちをかけたのは、『人に頼らないといけない』現実、そしておぼつかない歩き方から、杖、ついには車いすと変化していく身体を人に見られる恐怖。目まぐるしく変わり果ててしまう自分に

 

「心だけが取り残されて追いつけない」。
 

病気と向き合うことは、つまり、「自分」と向き合うことでした。

ー私のはなし:その2ー

『使えるもの = 欲しいもの』ではなかった現実。

 

そんな時期に大きな転機となった出来事がありました。


徐々に動かなくなっていく体に対して、身近で使う道具もおのずと変わらざるをえなくなり、いわゆる福祉用具に頼るしかなかった私が、そこで驚いたのは、

 

” 便利なだけの高額商品 ”と、絶望的なほど ” 地味 ” な福祉の世界。

 

『使えるもの = 欲しいもの、、、じゃない!』

 

という現実でした。動かしにくい身体のための便利なものはあっても、彩りやデザインが今ひとつパッとしない。その結果、どうなるか。『これで我慢するか。。』決して安くはないお金を払って妥協するという連続になるのです。

ただでさえ不自由な生活の中で、まだ我慢をしなきゃいけないのかと悔しくもなりましたが、こんな葛藤を繰り返している中で、

 

病気の身体は変えられないけれど、モノは変えられるはず!

 

とある日、気づいたのです。元来、思い立ったたら考えるより先に動き出す性格の私は、日本に無いならと、最先端の考え方や発想、技術で福祉機器などを紹介するドイツの国際福祉機器展(リハケア2009)へ欲しいものを探しに足を運びました。

 

  

そこで受けたカルチャーショックは今でも忘れられません。

目に留まるもの全てが彩り鮮やかで、すぐにでも欲しいと思えるデザインのもので溢れていました。そして何より、souを立ち上げるに至る原点となったのが、この会場を埋め尽くす障がい者や健常者、出展企業の殆ど全てが

 

『いかに人生を楽しむか!』を大切にしている

 

ことを感じさせてくれたことでした。便利なものであることはもちろん。でもその前にすべてのモノに『人生を楽しむ』というコンセプトがあるから、彩りやデザインも妥協しない。楽しむための遊び道具の種類もハンパない。

 

 

そこには、かつて私が悩んでいた『人に頼ること』『人に見られること』を気にして塞ぎ込んでいる人は1人もいませんでした。ここで教わったのは、

 

『諦めなくていい。むしろ、自分の人生を楽しまなきゃ損!』


という私にとって新たな価値観でした。出展企業の担当者に、「どんな思いでものづくりをしているのか?」興奮しながらひたすら聞いて回ったことを覚えています。

 

 

「こんなものがあったらいいのに」と当事者だからこそ普段の生活で感じている人は、私だけではないはずです。この時から、自分の中にあるその「思い」を具体的に形にすることができないか?更にそれが誰かの『欲しいもの』になり、販売することで障がい者が経済的にも自立することができれば、もっといいんじゃないか!?


体は動かせなくても、アイデアがあってそれを伝えることさえできたら、できるはず!と思い始め、それから8年がかりでようやく、ここにたどり着きました。

ーこれからの話ー

失敗を恐れず、私自身が『前例』になる。

もちろん簡単なことではないかもしれません。でもやってみないと分かりません!

そのモデル構築のために、まずは私自身がものづくりをして販売するところまで

” 道 ” を創りたいと思っています。

 

 

多くの障がいを持つ人々も『だれかの翼』になれるということを感じてほしい。

 

私が今日まで様々なことにチャレンジしてこれたのは、家族や友人、同じ想いを共有する仲間達の存在があったからです。その全ての人達が、私にもう一度、翼を授けてくれました。

 

 


もう、大好きな空の上での仕事をすることは叶いません。

でも、私も『だれかの翼』になれるような仕事ならできます。

 

そして何より、多くの障がい者の方にも『だれかの翼になれる』ことを知ってほしい!感じてほしい!と願い、

このsouをを立ち上げました。

 

 

 

 

中岡亜希

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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